(第7話)お金が蒸発した!~同居に踏み切るまで~(後編)

【金払いが良すぎるハハ】

なぜ、流し台入れ替え工事の費用が二度見するほど高かったのか。理由は単純で、ハハが新しいシンクとして最も高級なモデルを選んでいたからだ。
事前の相談と言いつつ既に発注済になっていたのは、発注したことを本人が忘れていただけである。

嫁氏は上等なシンクなどカケラも望んでいなかったし、僕はハハの預金残高が足りるのかが気になって仕方がなかったので、せめてもう少しコスパの良いモデルに変更するためにも、まずはこの工事をいったん仕切り直ししたいと考え、見積書に載っている施工業者の担当者にこっそり電話を入れた。

「すみません、大変申し上げにくいんですが…実はハハは軽い認知症を発症しておりまして、内容をよく理解せずに発注したようなのです。中止とは言いませんので、工事をいったん保留にして再見積もりさせて頂くことは出来ませんでしょうか」

えっ?お母様が認知症?

電話の向こうで、担当の女性が絶句する気配が伝わってきた。
話によれば、ハハはひとりでショールームに現れ、脇目もふらずにスタスタと最も良い商品の前に行き、

「これがいいわ。もうすぐ嫁が引越してくるから、ちゃんとしたいいものに入れ替えておいてあげたいのよ」

と言ったとのこと。受け答えにまったく淀みがなかったので、その時点では、なんとやさしい母親なのかとこそ思えども、まさかボケているとはまったく気づかなかった。
ただ後日、シンクの設置場所を見るために自宅を訪問した際、アポイントを取っていたにもかかわらず、ハハが「何しに来たの?あなた誰だっけ?」というような顔をしたので、あれ?なにか変だなとは思ったらしい。

残念なことに、シンクはそれぞれの家庭の間取りと使用者の体格に合わせてバイオーダーで作られるので、もうキャンセルは出来ないということだった。この瞬間、ハハの預金から7桁の数字が消えることが確定した

 

【捨てられない!】

さて、同居を決めたからには引っ越しの準備を進めなければならなかったが、それにはひとつ、小さくない問題があった。実家にモノが多すぎて、どう考えてもマンションから二人分の家財道具を持って来れるスペースがなかったのだ。
実家の2階部分を夫婦の領域にすることはすぐに決まったものの、そのためには、1階のモノを減らしてスペースを確保する→2階のモノを減らす→2階のモノをすべて1階に下ろして再配置する→マンションのモノを実家の2階に運び込む、という詰将棋のような手順を踏む必要があった。

そこで、そのままの内容をハハに説明し、モノを減らす承諾も得て、週末ごとに実家の整理を始めたのだが、ここでいきなりつまづいた。ハハが物を捨てさせてくれないのだ。

ハハの持ち物を改めてチェックしたところ、まずいちばん多かったのは衣類だった。2階の寝室のクローゼットの中と1階の茶室がすべて衣類で埋め尽くされていたが、よく着るものはすべて茶室に集められ、クローゼットには、何年前から袖を通していないのか分からないような古い衣類がぎっしり詰まっていた。普通に考えれば、それらはすべて不要なもののはずだ。
だが、処分していいかと訪ねると

「なに言ってるの!あれはね、高かったんですよ!あんたたちは本当に価値が分からないんだから!」

と烈火のごとく怒り出した。

それならばと、捨てていいものとダメなものを自分で分けてくれるよう頼んだのだが、その場ではいったん「分かった、やっとく」と言うものの、待てど暮らせど着手してくれる気配がない。しびれを切らして「まだ?」と言うと、また逆ギレする。服と同様、古い鍋釜や大量の食器も、整理がまったく進まなかった。

さらに困難を極めたのは、家具の整理だ。タンスやチェストなど、ほとんど壊れかけのものが多数あったので、ハハに

「これとこれはもう傷んでて使えないから捨てるね?」

と確認し、ハハも了承したので玄関脇の車庫に運び出し、市に連絡して粗大ゴミとして回収して貰う手続きをとった。
ところがその日の午後、職場に回収業者から電話が入る。

「すみません、事前に申請があった数より、出されている物がだいぶ少ないんですが…」

まさかと思って仕事帰りに実家に行ってみると、案の定、いくつかの家具が部屋の中に戻されていた。ハハがわざわざご近所さんの手を借りて、運び込んだのだ。その時もやはり

「私のものを黙って勝手に捨てないで!これはね、まだ使うんです!」

とたいそうご立腹で、自分が捨てていいと許可したことなどまったく覚えていなかった

このままでは、いっこうに引っ越しの下準備が終わらない。だんだんハハの認知症がどういうものか分かってきた僕たちは、戦法を変えることにした

1.何年も放置されてきたものはハハにとって必要がないし覚えてもいないものなので、それに関してはいちいち許可を取らず、自分たちの判断で捨てる。
2.ゴミの分別と袋詰めの作業は、母の目がある週末ではなく、ハハが書道教室へ行くために外出する火曜日の日中に行う。
3.ゴミは、ハハが気づかないタイミングでコソッと出すか、車で実家からマンションに持ち帰ってマンションのゴミ捨て場に出す。

これらのやり方は、なかなか上手くいった。滞り気味だった引越し準備は、ようやく進み始めた。

 

【害虫駆除が必要です】

そんなある日のこと。ハハがたちの悪い不動産屋にまったく利用価値のない土地を売りつけられていた事件がずっと頭の片隅に引っかかっていた僕は、ふと、他にも同じような事例があったのではないかと思い、いつもハハが無造作に書類を突っ込んでいる引き出しを開け、ひとつひとつ内容を確認してみた。

すると…やはりあった。あやしいシロアリ駆除業者が出した、床下工事の見積もりが出てきたではないか。業者は家に上がり込んで床下に潜ったらしく、何枚もの「それっぽい証拠写真」が添付してあり、工事費用は250万円と計上されていた。
幸いにも、これは見積もりで終わっており、実際に施工はされていなかった。ホッと胸をなでおろしたが、同時に、別の不安がムクムクと頭をもたげてきた。
一体、ハハには何匹の虫が寄ってきていたのか?これはもっと真剣に調べる必要がありそうだった。
第8話につづく)(一つ前の話に戻る


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