(第9話)成年後見制度は本当に「使える」のか?

【ハハの財産をどうやって守るか】

認知症を発症した人がやってしまうことの一つに、「買い物に対するタガが外れる」という現象がある。思い立ったが吉日、何でも買ってしまうのだ。
よく聞くのは、テレビ通販を見たらすぐに電話してしまい、次から次に荷物が送られてくるので家族がたいへん困惑するというもの。

注文した本人の反応にもいくつか定番がある。例えば、腹筋トレーニングマシンのワンダーコアを1ヶ月のうちに3台も買い、なんで同じものをいくつも買ったんだと家族に咎められると全部必要だから買ったの!」と言い張るパターン。

あるいは、自分でお取り寄せスイーツを注文したことをすぐに忘れてしまい、商品が届いたら「私は知らない、こんないらないものを注文するはずがない、持って帰ってくれ」と頑として受け取らず、業者を困らせるパターンもある。
いずれにしても、正常な判断力を失った人が注文したものであるから、家族としては、できることなら返品し払い戻して欲しいところだ。

ところが、現実はそう簡単ではない。注文者が正常な判断力を有しているか否かを見極めたり線引きしたりすることが、極めて困難だからだ。
認知症初期の患者は、表面上の話を合わせるのがとてもうまい(実際、ウチのハハもキッチンメーカーのショールームで高価な流し台を注文する際、認知症であることにまったく気づかれなかった)。なので、相手も普通の人に向かって普通に商売をしたと思っている。つまり、基本的に一度売買が成立してしまうと、法的な契約の取り消しはかなり難しい。

ただし、本人に変わって第三者が契約の取り消しを求めることができる方法が、一つだけある。それが、成年後見人になることだ。

 

【成年後見制度ってなんだ?】

成年後見制度とは、平たく言うと「認知症で判断力が衰えてしまった人に代わり、後見人に指名された人が、財産を管理したり守ったりすることができる制度」のことだ。
先ほどの例で言えば、もし認知症を患っている母親が不要なワンダーコアを買ってしまったとしても、息子が成年後見人になっていれば、母親に代わって契約の取消しを申し立てることができる。エンゾーが成年後見人になっていれば、シンクのキャンセルが出来たわけだ。

もう少し詳しく見ていこう。
成年後見制度には、大きく分けて二つのルートがある。任意後見制度法定後見制度だ。
任意後見制度は「今はまだしっかりしている人が、将来認知症になってしまったときのために、財産管理などをしてくれる後見人(=任意後見人)を決めておく制度」、法定後見制度は「すでに認知症になってしまった人の関係者(家族・親族など)が、本人に代わって財産管理などを請け負うために、後見人になる制度」だ。
前者は公証役場で簡単に指名できるが、後者は家庭裁判所への申し立てが必要だ。

図解にすると、こんな感じになる。

上のように、法定後見制度では、さらに当事者の認知症の度合いによって後見のレベルが「補助」「補佐」「後見」と三段階に分かれ、与えられる権限に差がある。任意後見人も含めると、ひと口に後見人と言っても4種類の立場があるわけだ。

とはいえ、この図だけ見ると、認知症の患者の財産を守るという点において、任意後見だろうが法定後見だろうが、やれることにはそれほど差がないように見えるかもしれない。
また、然るべき弁護士や司法書士に協力を仰ぎ手順さえ踏めば、サクサクと後見人になれそうに思えるし、エンゾーもそう思っていた。

しかし、現実はだいぶ違っていた。この制度には、運用しようとすると実情に合わない部分があるのだ。

 

【本当の意味で抑止力があるのは「成年後見人」だけ】

ハハの事例に当てはめて考えてみよう。
ハハが被害にあった「高額な給湯器の押し売り」や、自分で申し込んでしまった「高額なシンクの購入」の売買契約を解約できる権限を有しているのは、実は4つの後見の立場のうち、当事者に「判断力がまったくない」と判定された場合に家庭裁判所から指名される成年後見人」だけである。
制度の名称が成年後見制度なので非常に紛らわしいのだが、成年後見制度を利用することと、成年後見人になれることはイコールではない

では、ハハの認知症の程度がどの程度進んでいるか、それを判断するのは誰なのかと言うと、家庭裁判所(の、担当者)である。そして、その担当者が判断基準とするのが、脳神経外科で行われる認知機能テストだ。

ところが、ここに大きな矛盾が潜んでいる。
自分でショールームに行って品物を選んだり、テレビ通販で電話をかけて注文をしたりできる人が、「判断力がまったくない」カテゴリーに該当するだろうか?当然ノーだ
認知機能テストをやれば高得点が出てしまうので、家裁の判断は良くて補佐、大抵の場合は補助くらいのレベルになってしまう。

つまり、親のお金の使い方に問題が多くて頭を抱える家族が法定後見制度を利用しようとしても、契約を解除できる権限がある成年後見人にはなれないのだ。

 

【後見制度では本人の希望が最も尊重される】

法定後見制度を利用しようとした場合、まず最初にしなければならないのは、財産目録を作ることだ。当事者が持っている現預金や土地建物や有価証券など、ありとあらゆる財産をすべて洗い出し、リストにするのだ。

次に、それをたずさえて家庭裁判所に赴くと、担当者が認知症の当事者にヒアリングを行う。非常に細かい項目をひとつひとつ指差し、

この預金は、ご自分で管理されますか、それとも後見人に任されますか?

という風に尋ねていくわけだが、文書には実際にはどのように書いてあるかというと、こんな感じになる。

預貯金及び出資金に関する金融機関等との一切の取引(解約(脱退)及び新規口座の開設を含む)』

かなり言い回しが難解だ。実はここに落とし穴がある。

認知症の患者は、大なり小なり被害妄想が出てくる場合がある。よく、認知症を発症したおばあちゃんが「誰々が私の財布の中身を盗った」だの「ヨメが食事を食べさせてくれない」だのと訴える話を耳にしたことがないだろうか。アレだ。
そんな疑心暗鬼に陥りがちな当事者が、難しい言葉で書かれた項目をたくさん並べられ、さあどうする、これは他人に任せるの?任せないの?と何度も判断を迫られたら…

「もういい!みんなで寄ってたかって、私を騙そうとしてるんでしょ!全部自分で管理できるから、ほっといてちょうだい!」

と言い出すのは、まったくもって想像に難くない。そしてその一言が飛び出した瞬間、「本人の意志に従い後見人は不要」とみなされる

ここが家族には最も理不尽な部分なのだが、たとえ相手が認知症であると分かっていても、当人が望まないことを家庭裁判所は強要できないのだ親の財産をどうにかして守ろうと下準備をしてきた周りのすべての努力は、こうして当の本人によってちゃぶ台返しされてしまうのだった。

では、ウチの場合はどうだったか?
同居を始めてから分かったのだが、ハハは世間のご多分にもれず、非常にお金に執着する婆さんになっていた。通帳を常に持ち歩き、見せて欲しいと言うと警戒心をむき出しにして、なかなか見せようとしなかった。

そんな調子だったので、ハハが留守の間に家探しをして財産目録まではどうにか作ったものの、その先に待ち構えているであろう説得の困難さを考えると、どう考えてもハハが資産の管理を僕に任せるはずがなかったので、成年後見人の申請は諦めることにしたのだった。

 

さて、とはいえ手をこまねいていては、またいつ何時、良からぬ輩につけこまれ、とんでもない出費をやらかすかも知れない。成年後見制度に頼らずに、どうやって財産を守ればいいのか。
悶々とする日々を送っていたら、転機は思わぬ形でやって来ることになるのだが、それはもう少し先の話になる。

第10話につづく)(一つ前の話に戻る


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