(第6話)お金が蒸発した!~同居に踏み切るまで~(中編)

(第6話)お金が蒸発した!~同居に踏み切るまで~(中編)

【ハハとお金】

ハハは、バブル前後の約15年間ほどの間に、幸運にも結構まとまったお金を蓄えることが出来た。と言っても、きちんとした目標や計画性があったわけではない。収入が急に増えたにもかかわらず、仕事が忙しすぎて使う暇がなかった結果、自然と貯まったものだ。

昭和一桁生まれのハハにとって、贅沢とは「高いものを食べる」「高い旅行に行く」「高いモノを買う」の三択だった。そういうお金の使い方をできる事がステータスだった時代の人であり、その価値観は歳をとっても変わらなかった。

一方、人生の大半を仕事に捧げ、朝7:00から夜9:00までぶっ通しで店に立って商品を売りまくったハハは、確かにカリスマ店員と呼ぶに相応しかったが、身の回りには常に部下しかいない状況が長く続き、「普通の大人の対等な友達関係」というものを学ぶ機会がほとんどなかったため、常識が偏ってしまい、誰に対しても上から目線で、残念ながら友人が極端に少なかった。
その結果、ハハは社会とのつながりをお金の力で補おうとした。どうしたかというと、いろいろな場所の「常連さん」になったのだ。

例えば、三越の呉服店の常連になって、着るあてもない高価な着物を何着も買う。高級インポートブランドのお店で、店員さんに勧められるままに新作を買う。高い寿司屋に足繁く通う。
金払いのいい客である限り、相手はハハを持ち上げ、話相手になり、頭を下げてくれた。ハハにとって、お金は世間との接着剤だった

【これ以上の一人暮らしは無理だ】

僕はそんなハハを長年見てきたので、土地の権利書を見た時、ああ、やられたと思った。調べてみると、その土地はかなり辺鄙な場所で、猫の額ほどの広さしかなく、しかも市街化調整区域(住戸は建てられない土地)だった。要は、家庭菜園くらいにしか使い道がない土地を掴まされ、それにありえないほどの大金を払っていた。

軽くめまいを覚えながら、
「なんでこんな土地を買ったんだ。これ詐欺だよ?」
と言ってみたが、驚いたことに、ハハは自分がその土地を誰から・どういう経緯で・幾らで買ったかも、もはや8割がた覚えていなかった。契約書の日付は丸1年前のものだったので、いまさら手の施しようもない。
しかも厄介なことに、ハハはこの件について僕から追及されたくなかったようで、概要を覚えていないくせに、
「必要だから買った」
「私の金をどう使おうと私の勝手だ。あんたには迷惑をかけてない」
と開き直り、自分が騙されたとは絶対に認めようとしなかった

(これはもうダメだ。このままでは、ハハは食い物にされてしまう)
この時、ようやく僕の中にはっきりと、同居モードのスイッチが入った。

「あのさ、母さん。そろそろ一緒に住もうか」
「えっ?そうしてくれるの?」

ハハの表情が、パッと明るくなった。それは、かつて
「あんたが誰と結婚しようとも、私は一緒には住みたくないから、絶対に別居してよね」
と自分が言ったことすら完全に忘れている、そんな顔だった。

 

【ハハ、大暴走】

同居を提案してからというもの、ハハはなにやら非常にやる気になっていた。いつ移ってくるのかと何度も聞いてくる。
だが、こちらは長年住み慣れたマンションを引き払わなければならないのだから、物件の売却から考えなければならず、それでいて引っ越し費用が高額にならないように、ハイシーズンを外したタイミングで引っ越しをする必要もあった。

さらに、実家は戸建てだったがハハが贅沢に1階も2階も使っていたので、今後は1階をハハにあてがい、2階を僕たち夫婦のスペースにするため、家の中でも家具や荷物の大移動が必要だった。要は、わずかひと月くらいの間に引っ越しを二度するようなものだ。
重ねて、実はほぼ同じタイミングで、会社も手狭になってきたので移転する話が持ち上がった。これほど大きなイベントが連続することになるとは考えていなかったため、公私のスケジュール調整は難航を極め、夫婦揃って頭を抱えていた。

そんなある日、ハハから「大事な話があるので家に来てほしい」と言われた。ハハが「大事な話」というパワーワードを使うときは、だいたい大事な話だった試しがない。寂しいので構って欲しいという言葉の活用形みたいなものだ。
なので、今回も大した話ではないだろうと思いつつ、とりあえず聞いてやろうくらいのつもりで訪ねたのだが、出てきたのは珍しく本当に大事な話だった。

「流しの水が詰まって流れないの。もう古いから、シンクを買い換えようと思って。見積もりを取ったんだけど、これでいいかどうか、見てもらえない?」

シンクの買い替えとは、思い切ったな。これはまた、だいぶお金がかかりそうな予感がする。どうしてこう、この人は散財を好むのか。
パッと見、シンクそのものはまだまだ傷みも少なく使えそうだったので、配管の修理だけでいいのではないかと思いながら、ハハからその見積書を見せてもらって、コーヒーを吹いた。高い。クソ高い。
しかし、それ以上に背筋を寒くしたのは、その書類のタイトルだった。

「魚住邸 工事発注書」

それは既に見積もりのフェーズが終わり、GOサインが出たことを示していた。
第7話につづく)(一つ前の話に戻る