【逃げ場がない】
ハハと暮らし始めて、あらためて痛感するようになった認知症の厄介なところは、主に2つあった。
1つ目は、何でもすぐに忘れてしまうこと。
認知症なんだから、ものを忘れるのは当たり前だろう?まあ、確かにそうなのだが。
食事をしたことを忘れるとか、いま言った話を忘れてまた同じ話をするとか、そういうのは別にいいのだ。むしろ、微笑ましいくらいですらある。
では、忘れることの何が問題なのか。それは、約束が成立しないことだ。
余分な買い物はしないで欲しい。
「分かった、次からちゃんと確認する」
風呂に入らないと肌荒れが治らないよ?
「じゃあ、明日は入るよ」
見知らぬ人を家に上げちゃだめだよ。
「そうだよね、危ないよね」
ポーにチョコレートをあげたら吐いちゃうから、与えないでね?
「そうだったの?知らなかった」
このようなやり取りが、幾度となく繰り返されては、すべて無かったことにされた。
約束を守れないのではなく、約束したことを覚えていない。色々なことを改善するために約束を取り交わすのだが、状況が1mmも好転しないのだ。
子供に言って聞かせるのと似ていて決定的に違うのは、「ものごとが良くなっていく展望が見えない」というところだった。
2つ目は、感情のコントロールが効かないところ。
認知症は、理性を司る大脳新皮質が縮んでいくので、ただでさえ感情の抑制が利かなくなり、わがままで怒りっぽくなる。ハハの場合、アルコールがそれに拍車をかけていた。
飲みに行った当日→ヘベレケで会話にならない。2日目→朝から非常にテンションが低く、ほぼ終日、機嫌が悪い。3日目→少しマシになる。4日目→禁断症状が出て攻撃的になり、飲みに出ていく(振り出しに戻る)。
つまるところ、機嫌がいい日がほとんどないのだ。
体内にアルコールが少しでも残っている状態では、ハハは全身から「私に話しかけるなオーラ」を発し、呼びかけても無視するので、会話が成り立たなかった。
「頑張っても物事が良くなっていかない+うかつに話しかけると大ゲンカになる」というコンボは、同居する人間にとって大きなストレスとなった。
仕事で疲れて家に帰ってきても、そこは安らぎの場ではなく、また別の戦場なのだ。
砂を噛むような日々が積み重なった結果、ある朝起きたら、嫁氏は左耳が難聴になっていた。
【身を守るすべを考え始める】
このままでは、夫婦ともども病んでしまう。心身ともに疲労困憊し、自分たちの創意工夫だけではどうにもならないことを悟った僕たちは、ようやく、公的機関に助けを求めることに思い至った。
今までは、ハハの認知症なりアルコール依存症なりを「治療する」という方向で考えていたが(治療さえ始まれば事態が好転すると思っていた)、それがままならない以上、まずは自分たちのメンタルの安全を確保することが先だった。
最初に電話したのは、区の福祉課だ。
「すみません、ハハの認知症のことで専門家の方に相談したいことがあるのですが、どうすればいいでしょうか」
「分かりました、それでは、いきいきセンターにご相談されて下さい。今から番号を言いますね」
いきいきセンター。初めて聞く名前だった。
後で分かったのだが、いきいきセンターとは「地域包括支援センター」の別名で、おおよそ介護や高齢者の権利保護に関する、ありとあらゆる問題に解決策を提示してくれる、非常に頼りになる機関だ(呼び名は地域ごとに色々ある)。介護の問題で困ったことがあったら、いの一番に相談すべき相手である。福祉課に自分の住所を言えば、所在地に応じたいきいきセンターを教えてくれるし、役所のHPから管轄のセンターを調べることも出来る。
いきいきセンターに電話すると、すぐに若い女性が受話器をとった。
「はい、いきいきセンターです」
「区の福祉課からご紹介いただいたのですが、認知症のハハについてご相談したく…」
「なるほど。お母様の状態はどのような感じでしょうか?」
ああ、この人は助けてくれる。電話越しに伝わる第一声で、僕は何の根拠もなくそう思った。
事務的ではない、何でも聞く準備はできているという雰囲気を感じ取ると、僕は堰を切ったように、今まで起こったことを思いつくまま全部吐き出した。
ひと通り聞き終えると、担当の女性は
「大変でしたね。状況はわかりました。早めに支援を受けられたほうがいいと思いますので、改めて、面談の上で話を進めましょう」
と言ってくれた。
後日、改めて夫婦でいきいきセンターに赴き、電話の女性…社会福祉士のKさんと直に対面した。
Kさんが具体的に提案してくれたのは、おおよそ次のような流れだ。
1.要介護認定の準備・1(認定調査員との面談)
2.要介護認定の準備・2(脳神経外科で認知機能テスト)
3.要支援もしくは要介護のランクを確定
4.デイサービスの受け入れ先の選定
正直、よく分からないキーワードばかりだった。要介護認定。デイサービス。断片的に聞いたことくらいはあるが、まったく内容を把握していない。
「すべての手続きが終わるまでには、だいたい順調に進んでも1ヶ月はかかりますが、私もサポートさせていただきますので、一歩一歩やっていきましょう」
僕より20歳以上若いKさんは、柔和な笑顔で僕たち夫婦の不安を少しだけ軽くしてくれた。
今までやってきたのは、介護ではなく、ただの同居だったのか。
これからようやく、ささやかながらも本当の「介護」の第一歩が始まろうとしていた。
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