(第14話)介護の重要ポイント・その2「財布を握る」(前編)

【デイサービスで解決できたこと・出来なかったこと】

ハハが選んだ養護施設のデイサービスは、月曜日から金曜日までが稼働日だった。
本音の本音を言えば、行ける日はすべて(つまり週5日間)行って欲しかったが、もちろんハハがそれを受け入れるわけはなかったので、まずは当面の間、月・水・金の週3回からスタートしてみることになった。

「もし、今日は体調が悪いから行けないという場合はどうすればいいの?」

ケアマネージャーTさんとの面談がお開きになるころ、ハハがこんな事を言いだした。おっと。早くも、行かなくてよくなる方法を探り始めている。

「そういう場合は、事前にご家族の方からお電話いただければその日はキャンセルできますよ」
「そう。私が直接かけてもいいの?」
「もちろん、それでも構いません」
「そうなのね…。わかりました(ニヤリ)」

まだ行く前からサボる口実に思いを巡らせるハハに、前途多難な先行きを予感せずにはいられなかった。

さて、親との接触時間を減らし介護のストレスを軽減することを目的として始まった、ハハのデイサービス通いだったが、ほどなく、それほど精神的な負担が軽くなるわけではないことが分かってきた。

最初から気づいてはいたのだが、ウィークデーは僕たち夫婦は朝からハハを送り出したあと出社し、ハハがディサービスから帰ってきたあとに帰宅するので、結局それは自分たちがいない間にハハがデイサービスに行っているだけであり、接触時間が減ることには1分たりともつながらなかったのだ。

さらに、もう一つ悪いことがあった。ハハの帰宅時間が微妙なのだ。
朝9:00にお迎えの車が来てピックアップされたあと、ハハがデイサービスから帰ってくるのは、おおよそ16:30くらい。
その後、僕たちが仕事から帰る21:00くらいまでの間に、だいたい4~5時間のタイムラグがある。この間に、夕食も兼ねて飲みに行ってしまうのだ。

もしかすると、ディサービスに行くようになれば様々なアクティビティーをすることで体力や気力を消耗し、帰ってくる頃には外出する気が起こらなくなるのではないか…
そんな淡い期待は、最初の一週間で儚く消えた。

仕事で疲れて帰ってきて、玄関を開けたときに空気が酒臭いと、それは翌朝ハハが不機嫌になることを意味するので、それだけでテンションがだだ下がりになった。

また、ハハが酒を飲んでしまった日がデイサービスの前日だった場合は最もタチが悪く、朝になると決まって

「今日はね、お休みしますから!フラフラするし、頭が痛いし、行きたくない!」

と駄々をこねた。ハハよ、それを世間では二日酔いと言うのだよ…

 

もちろん、悪いことばかりではない。
デイサービスに行くようになってしばらくすると、ハハは、会話のやり取りが少しまともになってきた。
なるほど、見ず知らずの相手と会話して空気を読んだり意図を汲み取ったりすることが、やはり脳の訓練になるようだ。

そして、あれだけ僕が口うるさく言っても入ろうとしなかった風呂にも、デイザービスでは素直に入るようになった。
これは「大勢の中で自分だけ決まりと違うことができない」というハハの外面の良さが、「午前中はみんなで順番に入浴する」という施設でのルールとうまく噛み合った結果だ。
これ以降、ハハからは独特の悪臭が消え、入浴のことで言い争う必要がなくなり、後頭部に出来ていた大きな肌荒れも、約1年後にはきれいに回復した。

 

とはいえ。デイサービスに行き始めてからというもの、ハハは血中アルコール濃度の増減に合わせて、正反対のことを言うようになった。
酒を飲んで気が大きくなったときは

「あんなところ、行きたくて行っていると思ってるの?あたしゃね、Tさんに言って週2回に減らしてもらいます!」

と宣言し家族を困らせ、頭がはっきりして機嫌がいい日は

「お風呂も気持ちがいいし食事も美味しいし、ちゃんと面倒見てもらえてほんとにありがたいよ」

と仏様のような顔でのたまった。このダブルスタンダードがボディブローのように僕らを苦しめた。
なるほど、言うことに一貫性がない上司はどんなに優しくても嫌われるなと、変なところで納得したものだ。

【どうやってハハのお金を管理するか】

現状のデイサービスの回数と拘束時間では、ハハが酒を飲みに行ってしまうのを止めることが出来ない。そうなると、僕らに残された手段は、もう一つしかなかった。
水がダダ漏れの蛇口の元栓を締める…つまり、ハハからお金を取り上げることだ。

実はこれに関しては、割と早い段階から検討していたのだが、実際にどうやって着手していいのか、皆目見当がつかなかった。

ハハは認知症を患った患者のご多分に漏れず、お金に関する執着心が非常に強くなっていたので、ハハのお金を押さえることは、今まで経験してきた「脳神経外科を受診させること」や「風呂に入れること」「デイサービスに行ってもらうこと」より、どう考えても、何倍もハードルが高かった。

一方、ハハの通帳から飲み代としてものすごい勢いで現金が消えていっていることは、すでに把握していた。
以前、成年後見制度を利用するため財産目録を作ろうとしたときに、ハハの通帳を(押し問答の末)見せてもらったら、もうほとんど現金を食いつぶしていたので、遅かれ早かれ税金などの引き落としが滞る日が来るのは明白だった。

ある日、ハハがソワソワしながら嫁氏に寄ってきた。

「嫁氏ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど…」
「なあに義母さん?」

ハハからのお願いはだいたいロクな事がないので、身構える嫁氏。

「これを見てほしいの。なんか、お金が落ちてないっていう案内が来てるんだけど、私じゃよく分からないのよ…」

嫁氏がハハから封筒を受け取ると、それは郵便局からの督促状だった。

ハハは一人暮らしを始めてからというもの、銀行や郵便局の営業部隊の言われるがままに、いくつも保険に加入していた。じっと動かない、まとまった金額の預金があったので、それをターゲットに営業がかかったのだ。

内容をよく理解できない高齢者を保険に加入させるというのは正直いかがなものかと思うし、実際、社会問題にもなっている。
だがハハの場合、実はこのことによって、小さくない額の現金が保険料の一時払い金としてホールドされ、その後もコンスタントに一定額が充当されていった。

その結果、後日ハハが何件かの詐欺の被害に遭ったとき、現金のすべてを持っていかれずに済んだのだった。禍福はあざなえる縄の如しとはこのことだ。

とはいえ、その後も無計画に買い物や飲み代で預金を食いつぶしていたので、ついに通帳が空になったというわけだ。

 

そこで嫁氏は、渋るハハを「お金の流れを見せてくれないと助けられないから!」と説得し、ハハと一緒に郵便局と銀行をはしごして通帳に記帳し、すべての収支を把握するところから始めた。

ハハには、年金の他にわずかながらの収入があった。小さな古いマンションの一室を所有していて、そこから家賃収入を得ていたのだ。
さらには、長崎市内出身だったことで被爆者手当ももらっていたので、同年代の老人と比べても、不労所得は破格に充実しているはずだった。
だが、実際には資金ショートしている。どう考えても、払う必要のない保険料と湯水のような飲み代が犯人だった。

嫁氏がハハにまつわるお金の出入りを書き出して現状を説明すると、途中で理解が追いつかなくなったハハは、

「要するにお金が足りないんでしょう。だったら保険を解約するわ」

と高らかに宣言した。

実際、解約はするべきだったので嫁氏が手続きをとったが、まとまった金額がハハの通帳に入ることは、僕たちにとって、新たな心配事が増えることに他ならなかった。
ハハが残高を見て安心し、また飲み代につぎ込んでしまうのは明白だったからだ。

とりあえず、嫁氏は無駄にたくさんあったハハの通帳を一本化し、入金や引き落としをすべてその口座にまとめた。

「お義母さんが自由に使える月々の金額は◯◯円だからね。それでギリギリです。それ以上使ったら減っちゃうからね?絶対ダメだよ?

念を押す嫁氏の言葉を鬱陶しそうに聞き流すハハを見て、コイツは懲りてないなと思ったが、案の定、ハハの飲み屋通いは止まらなかった。

この先、どういう手を打てばいいのか。まさに9回裏ツーアウトまで来たとき、奇跡は起こった

15話へ続く)(一つ前の話に戻る


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