(第4話)救世主は体高20cm

(第4話)救世主は体高20cm

【どうやって言語野を刺激するか。それが問題だ】

…ハハの認知症の進行には、たぶん、会話が激減したことが大きく関係している…。

世間話をするうちに、ぼんやりしていたハハの頭の回転が分単位でみるみる回復していく様を何度も目の当たりにして、僕はそう確信するようになった。
だが、僕たちとハハは離れて暮らしている。しかもほぼ毎日、夜中にしか帰って来れない生活から抜け出せない中、どうやって一人暮らしをしているハハが日常的に自ら喋る機会を作るか。そこが問題だった。

はっきり言えば、わが社は当時、まごうことなきブラック企業だったので、嫁氏は朝から晩まで、無給で仕事を手伝ってくれていた。その上で、さらに「独裁者のような性格の義理の親との同居」という負担を強いるのは、どう考えても無理ゲーだった。

つまり、時間的にも経済的にも、同居できるようになる体勢を整えるため、数年間の猶予を稼ぎ出す必要があった。ハハの会話を増やし、どうにか一人暮らしを続けられる程度に社会性を維持することは、非常に差し迫った問題だったのだ

そこまで考えて、ふと思った。そもそもハハは、なぜ急に会話が減ったのか。もちろん、僕たち夫婦が結婚した時から別居が始まったわけだから、会話の量が減ったいちばん大きな理由はそれだ。
でも、本当にそれだけだろうか。ハハの一人暮らし生活は6年目に入っていたが、認知症以前と以後で、何が大きく変わったのか
唐突に、一つの答えにたどり着いた。

「そうか、ポーがいなくなったからだ」

在りし日の初代ポー

【犬のいない人生なんて】

話は少々さかのぼる。ハハは父と死別した後、父の残したウェルシュコーギーの「ポー」と一緒に暮らしていた。愛くるしく賢いポーをハハは大変かわいがっていたが、1年前、16歳で大往生してしまった。

ハハにとってポーは世話をする相手であり、話し相手であり(言葉による返事はないが)、無心に構ってくれる相手でもあった。そんなポーがいなくなり、その後1年ものあいだ家の中で言葉を発する機会がなかったことが、思った以上にハハの脳を蝕んでいるように思えた。

うちの父は新婚当時、柴犬のブリーダーのようなことをやっており、ハハは30年ほどの間に、出産から死別まで数十頭の犬たちと付き合った。そういうわけで、ハハの人生の半分以上は犬と共にあった暮らしであり、昔取った杵柄で、78歳になった今(当時)でも、それほど世話を苦にしなかった。うん、まだいけるはずだ。いまハハに必要なのは、見返りなく24時間寄り添ってくれるパートナーなのだ。

そこで週末、僕は母を連れ、ペットショップに行った。ガラスの小部屋の向こうには、いろいろな子犬や子猫が寝そべり、退屈そうにこちらを見ていた。母に

「どの子が一番かわいい?」

と尋ねると、ハハの反応がいちばん良かったのは、チョコレート色のトイプードルだった。

ペットショップの店員さんの手の中でおとなしくしている二代目ポー。

「オーケー!じゃあこの子を、俺がプレゼントしてあげるよ」
「えっ?ちょっと、そういうつもりで来たんじゃないんだけど…」
「ポーがいなくなって寂しいって前から言ってたじゃん。トイプードルなら室内で飼えるから楽しいと思うよ?」
「いやいや!もうさすがに犬を世話するのは無理だから」
「大丈夫大丈夫、トイプーは大して運動量がいらないし、頭だって賢いから。毛もぜんぜん抜けないから掃除も楽らしいよ」

 

【家族が増える】

こうして、完全に騙し討ちのような形で強引にハハを丸め込み、ソウル事件から2か月後には、実家にぬいぐるみのような家族が増えたのだった。名前は、それまで飼っていたコーギーの名前を受け継いで、同じ「ポー(2世)」に決まった。

ポーがやってきたことによるハハの変化は、劇的と言ってもいいようなものだった。表情が明るく生き生きとなり、話す内容もしっかりした。いつも間断なくポーの目を見て話しかけ、腕の中に抱いてかわいがった。ポーもまた、ハハの愛情に全身で応え、いつも後ろをついて回った。

アニマルセラピーという概念はある程度分かっていたつもりだったし、実際、老人保養施設でアニマルセラピーを導入して、特に情緒の回復の面で目覚ましい成果が上がっている事例も知ってはいたけれど、実際にこれほど効果があるとは思ってもみなかった。

こうして二代目ポーは、0歳のころから、ハハの精神安定剤としての役割を担うことになった。

僕たち夫婦がハハとの同居を開始するのは、ここからさらに6年後の話になる。

第5話につづく)(一つ前の話に戻る